はるたまの水溜まり日記

ただ、今ここに在るということ

子ども達の復讐 本多勝一

1970年代に起こった父親が家庭内暴力をふるう息子のA君を殺害した事件と

それに引き続いて起こったB君が祖母を殺して自殺した事件のルポルタージュ

 

全編を通した流れとしては、当時問題とされていた受験戦争である。A君は受験校の生徒であった。B君はそうではないが、自らをエリートと言っていたためである。

しかし、著者の本多勝一氏は、ルポルタージュは背景小説であるべきではないという信念に基づいてできるだけ事実をそのまま記載することを心がけている。そのために、本の主旨に内容が引きずられていない。そういった点は、このテーマを題材にした映画などと一線をかくしている。

 

特に上巻のA君の事件については、公判内容が克明に記載されていて興味深い。A君の両親がなんとか事態を改善しよう奔走した結果が悪い結果につながっているところに、医師が介在している。医師の言い分と、母親の証言は異なっている。個人を責める事にしたくないが、こういったことが医師と患者の間で、そして、カウンセラーとクライアントの間で起こるのだ。専門家は、なんでも「自己防衛」などと片付けないで、今一度振り返り、いましめる態度が必要である。そのための事例教科書としてもとても良いと思う。

 

(更に、検察側が控訴した後、妻が自殺したというのもショッキングな出来事であった。こういう時、検察や医師はどう思うのだろうか。それとも、もはや何も感じないのだろうか。)

 

下巻のB君の事件についても、B君とその母親の言い分が異なっていて、それに対して友人達のインタビューがあるのが面白い。おそらく、隠し事のある家庭だったのだろう。母親がタバコを吸っているが対外的には吸っていないことにしている。そんな事は大人からしてみれば、他愛のないウソである。おそらくB君はその点を遺書に書いていたのだろう。これまで隠してきていたその他愛のないウソを、出版のためのインタビューに正直に答えるだろうか?おそらく、この”他愛のないウソ”はB君にとっては重要だったのだろう。そういった他愛のないウソがたくさんある家庭だったし、母親で、つまり、母親が言ったように「何でも話し合える仲」ではなかったということだろう。心理検査でもすごく良い結果を出す人はむしろかなり危ないというとらえ方がある。親が、親子関係をすごく良いと表現するときは、むしろ危ない。少しくらいもめている状態が普通なのだ。

 

このルポルタージュの中で、特にカウンセリングや心理をやっている人にとって注目すべきは、下巻の201ページから登場する河合隼夫氏のインタビュー記事である。父性原理と母性原理について、欧米と比較して日本の違いを極めて短く解説している。

欧米では、父性原理は宗教に基づく善悪であり、母性原理は養育し、また、飲み込む危険もあるものだが、日本ではそれは異なる。日本文化は欧米のような個人主義ではなく集団主義だからだ。そのために、父親も母性原理的である。

しかし、受験戦争は個人主義、競争主義的であり、当時の子どもたちはそれにさらされたが、それに対して対抗できる強い父親が家庭にいなかった。その結果、A君は家庭内暴力というチャレンジを起こしたのだといった解釈だった(私の読み方が間違っている所も多々あると思いますがご容赦下さい)。

 

 

この本は、当時の受験戦争に焦点をあてていて、このような問題がその後のゆとり時代を作ったので、結局、受験戦争も間違いだったかも知れないが、ゆとり教育も間違っていたななどと思ってしまうけれど、衝撃的な事件を題材にしつつも、著者が客観性を重視してまとめた良い本のため、何度も読み返すと、何度でも異なる側面が見えてくるのである。