はるたまの水溜まり日記

ただ、今ここに在るということ

【新型コロナ】集団免疫というまやかし

 集団免疫とは、「ある感染症に対して集団の大部分が免疫を持っている際に生じる間接的な保護効果」だそうだ。つまり最近聞いた他の言葉で言うと、基礎再生産数が変わらない時に実効再生産数を下げる効果という事になる。基礎再生産数とは、免疫を持たない集団におけるウイルスの伝搬数。実効再生産数とは、免疫を持つ集団におけるウイルスの伝搬数だ。

 

 自然感染による集団免疫という言葉が医療専門家の口から度々流布されるようになって、何をしてくれているのだと思う。
 自然感染による集団免疫の獲得は、英国で猛反発をまねき、スウェーデンでは実戦中である。私は医学の専門家ではないが、様々な情報から、自然感染による集団免疫=無駄死にだと思う。

 

自然感染による集団免疫=無駄死にの根拠
新型コロナウイルスは季節的な流行が予想できるが、抗体は1年持たないと予想される。
・発症しない陽性の人は、体内に抗体が十分に作られない上に、感染させるリスクはある。

 

 つまり、新型コロナウイルスに関しては、自然な環境で免疫を獲得した人が免疫を持たない人に対する保護機能を持つという想定は難しく、集団免疫は効果がない。

 安全で持続性のあるワクチン作り、時期を見計らって投与しなければ意味が無い。実効再生産数の計算の上で何か効果が現れたとしてもそれは数字の上のまやかしに過ぎず、実態としては死者数の絶対値を上げるだけだろう。


 恐いのは、最初に何を言ってるんだと思っていても、繰り返し聞いていると人はその言葉に慣れ、やがてはウイルスのように自分の中にその言葉を取り込んでしまうという事だ。

 さて、心理学的にその原理を説明してみよう。

 

 まず、刺激に慣れる「馴化」が起こる。
 やがて、最初はとんでもないと思っても時間が経つと共にその信憑性のなさが薄れていく「スリーパー効果」が起こり、
 何度も聞くうちに「単純接近効果」が起こって耳慣れた言葉を好ましいと感じはじめ、
 そして、自粛等々に対する個人的な不満から、そういえば都合の良い情報があったなと「確証バイアス」がこの言葉を引っ張り出す。

 

 かくして、集団免疫という言葉が流布されることで、人々は集団免疫という考え方に導かれてしまうのである。

 恐ろしい、、これはもはや宗教か?
 専門家の口から語られるこの言葉は、科学がギブアップして、何か自分たちがまだ知らない解決法があるかも知れないと自然に身をゆだねることに過ぎないだろう。

 

 ここでもう一度考えよう。
 今、みんなが懸念している「経済」とは何か。
 戦後の日本は極貧だった。
 今、新型コロナウイルスが標的にしようとしている高齢者は、極貧国だった戦後の日本を復興し、ここまで豊かで安全な国にしてくれた人達ではないか。
 それが逆戻りすることを恐れて彼らを犠牲にするような考え方はおかしくないか。
 もう一度、極貧国からだって私たちは立ち直れる。


 だって、私たちは彼らの子孫なのだから。

 

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